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音楽系のなんとやら

アウトはシンプル、インでは雑多な生活を好む人間の情報ブログ

アニメ・僕だけがいない街 考察 "一歩踏み込む"ということ

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アニメ・僕だけがいない街、全12話見終わりました。

主人公の心情を踏まえたアニメ全編の考察をしていきたいと思います。

※ネタバレを含みますので初見の人は注意。

「バカなの?」

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時間考証

リバイバル

 
古い演劇・映画・歌謡曲などが、再演・再上映されること。また、昔の風俗・流行などが、復活・再評価されること。

 リバイバル(再上映)の能力を持つ主人公(悟)が2006年と1988年を行き来して未来を変えるというストーリー。

 タイムリープ物は失敗するんだよ!!!!なんて思っていた時期もありました。前期にCharlotteやってましたし。

 

 この物語の真髄といってもいいリバイバルという能力ですが、以外にもコレを使う機会が少なく過去と現代の行き来がスムーズに行われており、見ていてもご都合主義感はそれほど感じられませんでした。

 当然ながら物語の流れ上、ここはリバイバルするだろ!というところにハメてきてむしろ気持ちよくすらありました。

 リバイバルの流れは

現代→リ→過去→リ→現代→リ→過去→十五年が経過→現代

(※リ=リバイバル)

リバイバル三回しかしてないやんけ。

 ちなみにオカリンは1000回超えてますからね。Charlotteは主人公のチャンニーが失明するまでやってました。

 徐々に変えていく、というよりかは”限られたチャンスを掴む”と言ったほうが正しいというところでは本当の意味でタイムリープなのかもしれません。

 "一歩踏み込む"ということ

保守的な主人公

 一話で2006年の悟が担当編集に「もう少し(漫画を)踏み込んで描かないと」と言われているシーンがありました。リバイバルは”踏み込む”ということの暗喩ではないかと感じる場面が作中に度々出てきます。

 リバイバルが起こる度に悟は”柄にもない”行動を起こします。唯一身近だったトラック事故でのリバイバルでは「関わるんじゃなかった」という保守的な発言をしていますが、走馬灯で作中に出てくるヒーローの描写が有りました。

 これは悟が本当はヒーローに憧れているという比喩で、リバイバルはヒーローになるために踏み出すためのきっかけというわけです。

 悟が漫画家というのも保守的の象徴を表しているといえるでしょう。

 事故後の病室でヒロイン・愛梨が「なんか薄い膜で覆われてるような感じ」という発言をしています。ここで「膜で覆われてる」といわず「薄い膜」としているの は閉じきっていない、塞ぎきっていないということではないでしょうか。外部からの干渉があればその膜は破ることが出来る、現にその後愛梨はハサミで膜を切り、結果、悟は少しでも笑うことができています。

 母親が来る前は要所要所で愛梨のことを「愛梨くん」と呼んでいましたが、その後は呼ばなくなることからもその性格が伺えます。

主人公と対極の周辺人物

 例えば片桐愛梨。彼女は明るい性格かつ真の通った保守の対極になる人物という位置付け。悟の"薄い膜"を破ろうとします。

 彼女はガンガン他人に干渉するような正確で、夢のため自立を試みているという点も保守的とは真逆の正確であることが見て取れます。

 例えば母親・藤沼佐知子。一話で悟のリバイバルに異変を覚えた後、過去の事件を洗いなおすなどかなり活動的。リバイバルした先の過去でも悟を手助けするなど積極的に関わっていこうとする代表的な人物です。

 悟もリバイバルする前の過去(第一タイムライン)でケンヤ達とツルんでいたり、雛月と関わりがあったことから、クラス中心人物とは行かないにしてもそれなりに交友関係はあったことが伺えます、誘拐殺人事件をきっかけに保守的へと変化していったのではないかと推測されます。

 ケンヤやヒロミ達もリバイバル後の世界(第二タイムライン)で悟に協力しようとすることから少なからず積極的であることが判ります。

一歩、踏み込んだ先に

 悟が1988年にリバイバルし、未来を変えた結果、第一タイムラインとは何が変化したのかということを考察していきます。

 悟は雛月 加代、杉田 広美、中西 彩を救うことができたのですが、最終的に真犯人にハメられて瀕死に追いやられてしまいます。そして自宅で母親の看病を受けながら意識のない15年を過ごし、目を覚ます…という流れなのですが、意外とここがラストへつなげる鍵。

 重要なのは"自宅で15年間過ごしていた"ということ。

 第一タイムラインの悟は上京し漫画家を目指しますが、第二タイムラインの悟はそんなことが出来るはずもなく北海道に残ったまま。

 ここで比較したいのが1話の病室シーンと12話の病室シーン。トラック事故の後と15年後の病室です。

 1話の病室というのは愛梨が一人お見舞いに来ているだけで他は誰も居ませんでした。そして「連絡したい相手は?」という愛梨の質問に悟は「わざわざ知らせたい奴は居ない」と答えています。これは誘拐殺人事件後、漫画家=保守になるために上京し、一切の交友関係を絶って来たことが判ります。

 しかし12話ではどうでしょうか。悟は過去に三人を救い、ケンヤとヒロミと信頼と絆を築いてきました。その結果、悟の病室には「わざわざ知らせたい奴」がやってくる事につながったのです。

 ラストシーンで真犯人と一悶着あった後、悟は屋上から落ちていきますが、この結末は仲間が近くにいなければ成し得なかった、信頼できなければ完成できなかった結末と言えるでしょう。

 第一タイムラインにて、一人では救えなかった雛月や母親に対して、第二タイムラインで仲間が居たから救うことが出来た結末は、悟が"一歩踏み込んだ"という結末に他なりません。

 この『僕だけがいない街』という物語は雛月達を救うという目的の中、悟が自分自身の膜を自ら破り"本来の自分"をもう一度見返していく、そんな物語なのではないでしょうか。

 

 結局のところ、リバイバルの能力が何故悟に備わったのか、というところは謎のままですが、かなりうまくまとめられているのではないでしょうか。

 伏線もほぼ回収しきった感じもありますし、個人的には個々最近で一番の傑作を見られることが出来て大満足ですね。一話一話の間の一週間が長かったですが……

 

 今回は悟を保守、周りを積極として対比の関係で僕だけがいない街を読み解いてみました。

 個人的な見解にすぎないのですが、これを踏まえてもう一度物語を見なおしてみると新たな発見や登場人物の細かな心情変化がより深く分かるようになるのではないでしょうか。

 

 ちなみにこのリバイバル(再投影)という能力、オープニングの最初のシーンが再投影の劇場となっているのはこういうことなのです。

 さて、原作全巻集めますか。

 

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